商優工劣

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たまたま服飾の歴史を調べていて、出会った文章があり自分の忘れない為の自分メモです。
アパレル産業の簡単な歴史を書いてくれた記事ですので、興味があればどうぞ。

アパレル産業の簡単な歴史

↓内容は完全な引用です。

◇本文は、日本繊維機械学会創立50周年に当たり依頼されて「縫製の50年」と題する記述を行い、同学会誌(1997年6月号)に掲載された内容をミスプリント(9箇所)の訂正に加えて、縫製業界と共に歩んだミシン業界にも少しながら触れるように加筆し、技術面を表に、経済面を背景にしてまとめたものである。筆者も両業界と半世紀のお付き合いとなる。それでは、縫製とミシンの産業につき、その形成から見て行くことにしよう。
 
◇衣服仕立ての源流は家庭裁縫と専門の仕立て師による職人業であり、裁縫の教師は家庭では母親が、専門的には町の仕立て師匠か職人の親方がなって、仕立ての技を伝承した。

◇工業の形成は300年前のイギリスの産業革命によるが、縫製工業は、1851年(148年前)のミシンの出現により手縫いからミシン縫いとなった上に、100年前の電動モーターの出現により工場制手工業へと進み、そして60年前からアメリカで工場の作業に分業による流れ方式が採用されたことにより形成されたのである。手縫いからミシン縫いへの移行には長い期間を要した。ミシンが販売されるようになって、ミシンメーカーは月賦販売を始め、さらにミシン洋裁学校を設けて、ミシンの使い方と共に洋裁を教えた。

◇そして衣服製造業の原型が形成されるに至る。この原型とは小売店が製造を兼ね、小売りが職人を雇って店内か店の奥で製造加工した製品を店先で小売りする製造小売り業態である。この業態で生産量が増えると、仲間卸しが行われるようになり、さらに扱い量が増すと、店頭小売りをやめて製造卸業となり、雇い入れていた職人を独立させ、店外の下請け業者とした。これが下請け縫製工場となったのである。このため、縫製工場は「商優工劣」を性格付けられたと見られる。

◇戦前には明治以来、注文洋服製造業界が洋服供給の主流であった。既製服縫製では、軍服や軍靴が官営の縫製工場(被服廠)や製靴工場で製造された。民間の縫製工場では足袋などの工場があり、制服や学生服、ワイシャツなどの縫製工場も稼働していた。日中戦争が始まり、太平洋戦争に入ると、生地や衣料は配給制となった。衣服は男は国民服、女はもんぺ(モンペの語源はポルトガル語といわれる)というスタイルとなった。戦争が終わった後の衣料統制では、既製服が対象となり、注文服は枠外とされたので、統制撤廃まで注文服業界は暗然としてひたすら忍従のほかなかったという。主として町のテーラーとしての注文洋服業者は昭和40年に至るまで、その仕立て技能により既製服を圧倒するシェアを占めることになる。

◇戦後は戦前からの縫製工場の他に、婦人服では洋裁の履修者が縫製工場を作った。伝承技能だけの縫製工場が衣料需要の増大に伴って急増していった。この結果、縫製の作業では職人まかせや現場まかせに流れ、技能面ではそれは一層顕著である。従って、縫製現場では不合理な因習がなくなっていないだけでなく、縫製工場としての取引条件でもお店(オタナ)と下請けといった前近代的意識が解消し切れていない。この業界の固有的にもなっている下請け縫製工場問題は、指摘されてからすでに久しい。しかし、この傾向は日本だけのものではなく、欧米を含めて世界的に認められ、下請け縫製業界の体質の脆弱さ、極低付加価値の実体はどこでも変わらない問題のようである。特に最近の低賃金国の輸出加工ゾーンでの委託加工縫製工場の労働者の惨状は、反企業運動の元になっているほどである。

◇この状態は縫製の「産業革命欠落症状」である。工業化の促進には、標準化、単純化、専門化が上げられるが、縫製では製図法をとっても統一化されておらず、標準化が特に進んではいないし、単純化も手間をかけることが上等という意識がこれを妨げている。専門化も独自性や特徴が明確とはいえない。これらは縫製の工業化の遅れと見られる。

◇工業統計では、22の工業業種の中で、従業員一人当たりの付加価値額(縫製では水揚げ)が最低なのは、ここ10年間を通して、残念ながら衣服製造業である。水揚げ最低ということは、平均給与の最低を結果する。

◇しかし、縫製における標準化については、アパレル産業の「製図法」の統一の問題が、最近のCAD/CAMによりハイテクによる共通性の上で進められるようになり、そして縫製の「流れ作業」もハンガーシステムの導入で高まってはきたが、ヨーロッパではテーラード縫製を革新するエンジニアード縫製に移行しているというのに、日本では関心が薄い。工業というプロセスを経ないで、脱工業の時代に入って行けるのだろうか。

◇縫製の半世紀を記するにあり、21世紀に縫製産業が生き残るための要因を改めて考えなければならないだろう。

上記は冒頭の部分のみ引用した物で、掲載サイトにはもっと詳しく書いてあります。
掲載サイト→http://www.interq.or.jp/tiger/kawauchi/Senimc1.htm

商優工劣

文章の中に出てくる『商優工劣』の言葉。やっぱりこの辺が肝な気がする。
昔の日本は士農工商。差別的感覚もあったのかも知れないけれど、序列としては正しいと思う。全ての商人がそうだとは言わないが、基本金勘定な商が工の上に立ってはいけない。
それは社会でも1つの組織の中でも同様だと思う。極端な上下は必要無いと思うけれど職人を敬う気持ちを持って物を売らなければ、その物の良さ等伝える事は出来ないし、伝えられないと言う事は文化のレベルを下げるに等しいと思う。

現代は服飾に限らず、ほぼ全てのカテゴリーで『商優工劣』なのだと思う。それが招くのは、今の国内アパレル産業的末路なんじゃないかな?? って国内の大手企業を見てると思っちゃうな。

金勘定だけの商人が上に立ってしまえば、安い人件費を求めるのも当たり前、ブランド力や競争力のある舶来品が増えるのも当たり前。きっと今はその方向に向かってるんだろーなー。
工業というものを文化として確立していくほうが、長い目で見れば商人も安定なのだと思うのだけれども、大半の商人が今の数字、今の株価、今の利益、それに囚われるから仕方無いのかも知れないけれど。

そんな風に思う戯言でした。

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